5月 23

歴代の家つくり

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1pic戦前、何もなかった時代、製材所の職工の父を持つ初代が大工の道に入るために山形へ修行。鬼の棟梁といわれた後藤鉄蔵氏に弟子入り昭和5年 20歳の時に独立。そして、創業。町場の仕事は、おかかえ大工により独占され、しかたなく周辺の部落の農家を訪問硬い仕事と朝6時から夜10時まで働く姿をお客様に評価され、口コミで評判になる
その後、技術の向上、24名の弟子の育成に努め、数々の社寺を手がけ、「宮大工」と呼ばれるようになる。そして、晩年、業界の発展に寄与されたことを認められ、建築士会全国大会で表彰を受ける。
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2pic平成元年初代の哲蔵氏の死去のより、二代目を承継する。
初代に対する不満を二代目の保勝氏が、お客様の家を一軒一軒訪問し聞いて歩き、お客様の言ったことをやってもらえなかったことやワンパターンの家づくりを改めるべく、「設計士」とコラボレーションして、お客様のニーズやデザイン性にすぐれた家づくりを手がける。その間、手狭だった作業場・事務所を新築、事業の拡大を行なってきた。
バブル時代も重なり、大型二世帯住宅(80~90坪)やアパートや店舗併用住宅・別荘など数々の住まいを手がけ1996年には、消費税のかけこみ需要も重なり過去最高の2億3千万円の売り上げを計上する。
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3pic大工の家に生まれ、父・祖父の背中を見て育ち、いつかは、自分も立派な棟梁になりたいとの想いから、山形県立山形工業高校の建築科に入学 卒業後、大工見習いから始まり、山形の(株)市村工務店住宅部 (株)丸健で5年間の修行を積み重ね家業を継ぐ
その間、山寺の奥の院、芭蕉記念館、三万石などの大規模建築から社寺建築・数奇屋づくり洋風・和風住宅など数多くの住まいを手がけ、技術を磨く
家業を継いでから、元請の仕事100%から、徐々に仕事が激減、下請け工事もするようになり、過去最低の6千万円まで落ち込み試行錯誤の末、一丸発起。
高品質で低価格な住まいをお客様に提供するために必死にコストダウンや標準仕様などのルールを決め、大沼建築の新部門として「ウィズホーム」を立ち上げました。
これからも「ウィズホーム」は、名前の通りお客様といっしょに考え、それぞれの理想の生活スタイルに合った空間提案をさせていただき、お客様の立場に立った住まいづくりに全力をつくしていきます。
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